大判例

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大阪地方裁判所 昭和39年(ワ)4888号 判決

原告

仲野和孝

仲野芳孝

仲野スマ子

仲野福松

仲野トキ

株式会社仲野商店

右六名代理人弁護士

山中隆文

被告

日本国内航空株式会社

右代理人弁護士

鮫島竜馬

阿部士郎

主文

一、被告は、原告仲野マス子に対し金六〇〇万八三九九円、原告仲野和孝、同仲野芳孝に対し各金五五〇万八三九九円宛、原告仲野福松、同仲野トキに対し各金五〇万円宛および右各金員に対する昭和三八年五月二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員ならびに原告仲野商店株式会社に対し金一四〇万円および右金員に対する昭和三八年五月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告仲野スマ子、同仲野和孝、同仲野芳孝、同仲野福松、同仲野トキのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用は、原告仲野商店株式会社と被告の間では全部被告の負担とし、その余の原告らと被告の間では右原告らに生じた費用を三分しその二を被告の負担としその余を、右原告ら各自の負担とする。

四、この判決の第一項は原告らにおいてそれぞれ仮りに執行することができる。

五、但し、被告において、原告仲野スマ子に対し金四八〇万円、原告仲野和孝、同仲野芳孝に対し各金四四〇万円宛、原告仲野福松、同仲野トキに対し各四〇万円宛、原告仲野商店株式会社に対し一一〇万円の各担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

第一  本訴申立

(原告ら)

「(1) 被告は、原告仲野和孝に対し金七、〇〇八、三九九円、原告仲野芳孝に対し金七、〇〇八、三九九円、原告仲野スマ子に対し金七、五〇八、三九九円、原告仲野福松に対し金一、五〇〇、〇〇〇円、原告仲野トキに対し金一、五〇〇、〇〇〇円および右各金員に対し昭和三八年五月二日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(2) 被告は、原告株式会社仲野商店に対し金一、四〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三八年五月七日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(3) 訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告)

「原告らの請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二  争いのない事実

一、被告の営業

被告会社は、昭和三九年四月一五日、日東航空株式会社および北日本航空株式会社が合併して設立された会社であり右各会社の合併前の権利、義務を承継したものであるが、被告会社(合併前の日東航空株式会社、以下、同じ)は、大阪―徳島間に単発水陸両用旅客機つばめ号を就航させていた。

二、本件運送契約の成立と事故発生

訴外亡仲野孝之助は昭和三八年五月一日、被告会社従業員である訴外清水祥男機長および運航補助者訴外野口剛操縦にかかる右つばめ号に乗客として搭乗し、大阪国際空港より徳島に向けて飛立つた。

しかるところ、右つばめ号は同日午前八時五〇分ごろ兵庫県南淡町灘吉野二九八番地、通称淡路島諭鶴羽山(標高六〇三メートル)附近を飛行中、右山の中腹に激突し、同機は大破炎上、乗客である訴外仲野孝之助は即死した。

三、亡孝之助の職業と家族関係

亡孝之助は、原告会社の専務取締役であつたが、原告スマ子はその妻、原告和孝はその長男、原告芳孝は次男、原告福松は父、原告トキは母である。

第三  争 点

(原告らの主張)

一責任原因―航空運送契約上の責任ならびに不法行為上の責任―

本件事故発生当時、現場附近の気象状況は極めて悪く、そのまま徳島方面に向けて飛行を続行すれば、山腹へ衝突する危険があり、かつ、これを予知できたのであるから、飛行機の運航に従事する者としては、当然、大阪空港へ引返すべきであるのに、清水機長らは漫然そのまま安全に飛行し得るものと速断して飛行を続行した結果、高度を誤認して前記山腹に激突したものであり、本件事故は、有視界飛行の基本ルールを守らなかつた被告会社および前記操縦士の重大な過失に基因するものである。

従つて、被告会社は、航空運送人として、亡孝之助との間に締結した本件運送契約上の責任を負うとともに、被告会社自身としてならびに操縦者である前記清水、野口両名の使用者として不法行為上の責任をも免れないものである。

二損害の発生

亡孝之助および原告らは本件事故により左の如き損害を蒙つた。

(一) 亡孝之助の逸失利益とその相続

亡孝之助は、大正一四年三月二七日生で事故当時満三七才であり、原告会社の専務取締役として平均月収九万円を得ており、今後七〇・五才の平均生存年数まで十分働きうる健康体であつた。したがつて、亡孝之助の失つた得べかりし利益は、金三、六一八万円であり、これをホフマン式算定法により死亡時の現価に換算すると一、三五二万五一九六円となる。

原告スマ子、同和孝、同芳孝は亡孝之助の相続人として、これを三分の一、金四五〇万八三九九円宛相続した。

(二) 原告会社の損害

原告会社は、専務取締役である亡孝之助の葬儀を社葬として行い葬儀費その他の雑費として金一四〇万円を支出して同額の損害を受けた。

(三) 原告らの慰謝料

原告和孝は昭和三一年四月一四日生で事故当時七才、原告芳孝は昭和三四年一〇月四日生で満三才であり幼くして父を失い今後の生活を考えるとその精神的打撃は計り知れないが、これに対する慰謝料としては各二五〇万円が相当である。

また、原告スマ子は、亡孝之助の妻として一一年間苦楽を共にしてきたが亡夫の急死によつて今後の生活上大変化を来たし精神的に多大の打撃をうけた。この物心両面にわたる損害に対しては、金三〇〇万円の慰謝料が相当である。

原告福松、同トキは、亡孝之助の実父母であるが、家業である原告会社の実質的後継者である愛息を急死させた悲嘆は計り難く、これに対する慰謝料は各一五〇万円が相当である。

三被告の主張に対する反駁および主張

被告会社は、本件運送契約は同社の運送約款に従つて引受けられたものであり、右約款第二四条によれば、損害賠償の最高限度額は一〇〇万円と定められているから、右一〇〇万円以上の賠償義務はないと主張する。しかし、右主張は左の理由により失当である。

(一) 運送約款の不適用

いうまでもなく、運送約款等の普通取引約款は、具体的個別的に締結される「約款による契約」そのものではないから、運送約款等の普通取引約款が実効性をもち、これによる契約が拘束力を得るためには、それが公示されて認識可能の状態に置かれていなければならない。しかるに、本件運送約款は、本件運送契約締結当時公示され認識可能の状態に置かれていたものではなく、その他亡孝之助が本件運送契約を締結するに当り右運送約款の各条項(殊に第二四条)による契約をなしたと認むべき事情は皆無である。因みに、被告会社の運送約款が切符発売所のカウンターに備えられたのは、本件事故後暫く経てからのことである。

従つて、本件運送契約には被告のいう運送約款の適用は無く、本訴請求も同第二四条の制限に服さねばならないものではない。

(二) 運送約款第二四条の無効

(1) 仮りに、右(一)の点は別としても、本件運送約款第二四条は、そもそも公序良俗に反して無効であり、これが適用されることはありえない。

すなわち、運送人の故意、過失ないし重大な過失に基いて惹起される人身事故に対し、航空事業の保護の美名のもとに運送人の損害賠償責任を制限する約款は、物質文明偏差、人命軽視の憂うべき世情と根を一にし、いわば運送約款等の普通契約々款に関する一般条項の不当な適用(一般条項の濫用)であつて、それ自体一個の問題であるといわねばならない。けだし、航空運送事業の保護は運送人の責任の制限、殊に運送人の故意、過失ないし重大な過失に基く人身事故に対する損害賠償責任の制限をもつて購われるべきものではないからである。

(2) 仮りに、運送人の責任制限そのものは有効であるとしても、本件約款の一〇〇万円の限度は低額に過ぎて公序良俗に反し無効である。けだし、

(イ) 既に、本件事故に遠く先立つ一九二九年の国際航空運送についての規則の統一に関する条約(ワルソー条約)において、旅客の人身事故についての責任の限度は八三〇〇ドル(約三〇〇万円)とされ、一九五五年の同条約を改正するための議定書(ハーグ議定書)においては一万六六〇〇ドル(約六〇〇万円)とされているばかりか、右ハーグ議定書についてすら米国等は引上げ額が僅少だという理由で批准をしていない実情である。

(ロ) 我国でもワルソー条約を批准して、既に、本件事故当時、全日空、日本航空等はワルソー条約に准じ賠償限度額を三〇〇万円としていた。

(ハ) ワルソー条約が締結された当時においては、航空運送産業は、未だ非常に幼稚な産業であつたが、現在は勿論本件事故当時も、既に、航空運送産業は巨大な産業に発達して十分なる利益をあげているのであるから、自動車その他の産業と区別して優遇すべきいわれはなく、ワルソー条約の限度額三〇〇万円すら既に著しく低額にすぎる責任制限である。況んや、本件約款の定める一〇〇万円の限度額は公序良俗違反の違法な責任制限であるといわねばならない。

(ニ) 被告は、本件約款は昭和三五年六月に認可を受けて有効に発生したというが、前述のとおり本件約款は違法無効であり、約款のかかる違法性は該約款が行政官庁の認可を受けたことにより治癒されるものと解することはできない。

(ホ) 被告は、責任限度額を引上げれば保険料を引上げ、運賃率の高騰を招くとし、一般乗客を含む大衆に転稼されるとともに広く航空企業の事業計画、運航形態と規模、安全操業のための投資とその施設の運用等々に重大な影響が及ぶというが、責任保険料は運賃のほぼ一パーセントであるというのが定論であり、相当額への引上げが責任保険や運賃率への見るべき影響があろう筈はなく、却つて、航空事業の堅実健全な運営に資する結果となるものといわねばならない。

(ヘ) そのうえ、被告自身本件約款の一〇〇万円の限度を不当と認め、本件事故による亡孝之助以外の被害者に対しては、いずれも、三〇〇万円以上の賠償金を支払つており、この事実より考えても被告が本件運送約款を根拠として責任制限を抗弁するいわれはないと云うべきである。

(被告の主張)

一責任原因―被告会社の無責―

本件事故は、後記の如く予知し得ざる強風の発生という不可抗力に起因するものであるから被告会社は本件事故に関する責任を負うことはできない。

航空運送人の責任については、法律上直接に之を定めた規定はないので、商法五九〇条の規定の適用ないし準用によりその責任を定めるべきものと考えられるところ、同条は旅客の運送人が自己またはその使用人が運送に関し、注意を怠らなかつたことを証明した場合には損害賠償責任を免れることを定め、また、航空法については、国内法が整備されていない関係上、国内運送についても国際航空運送に関する条約の規定に準じて法の適用を考えるべきことは一般に認められているところであるが、国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約(ワルソー条約、昭和二八年条約第一七号)第二〇条は、航空運送人の責任について過失主義をとり、運送人およびその使用人が損害を防止するため必要なすべての措置をとつた場合またはその措置をとることが出来なかつた場合には負任を負わない旨規定している。

しかるところ、本件において、被告会社ならびにその使用人たるつばめ号の操縦者・機長清水祥男ならびに運航補助者野口剛は運送に関し注意を怠らなかつたこと左に述べるとおりであり、本件事故はまさに予知すべからざる強風の発生という不可抗力によつて生じたものであるから、被告会社には法律上の損害賠償責任はない。

(1) 航空機の安全性

被告会社が本件運送に使用した航空機つばめ号は、航空機製造業者として世界的に著名な英国のデ・ハヴイランド社カナダ工場において製造せられた単発水陸両用旅客機であって、その性能の優秀なること、安全性の高いことは航空業界に顕著な事実であり、その信用度の高いことについては何人もこれを疑わないところである。

しかして、被告会社は該つばめ号について、昭和三八年四月運輸省の検査をうけ、その強度、構造および性能が運輸省令の定める安全性を確保している旨の公認を受け、耐空証明書の交付を受けていた。

右の如く被告会社が本件運送に使用した航空機については、その耐空性、安全性は完全であつて、この点について、被告会社は充分の注意義務を果していた。

(2) 操縦士選任、監督上の無過失

つばめ号の機長清水祥男は昭和三一年一一月事業用操縦士、事業用機長、同三七年七月上級事業用操縦士の資格(技能証明)を取得し、かつ、同年九月多発水上機につき、更に同年一一月単発水上機につき、機長としての路線資格を取得して、同年九月以降水上機路線の機長を勤め三、二〇〇時間の飛行経験を有する優秀なパイロットである。

運航補助者野口剛は、昭和二八年四月事業用操縦士ならびに事業用機長、同三七年七月上級事業用操縦士の資格を取得、以後路線旅客機副操縦士・機長見習として従事し三、二九〇時間余の飛行経験を有する優秀なパイロットである。

しかして、被告会社は、かかる資格経験・技量ともに申し分なき操縦士を選任、充分なる監督のもとに運送業務に従事させていた。

(3) 運送上の無過失―不可抗力

(イ) 本件事故当日である昭和三八年五月一日午前七時ごろ、清水機長は気象台からの気象状況を確認し、航空機が航行に支障がないこと、その他運航に必要な準備が整つていることを確認した。

(ロ) 大阪国際空港においては、航空機の離陸は水平視程一・五キロメートルあれば許可される規則となつているところ(被告会社では、右規定より更に慎重な態度をとり、社内ルールとして水平視程を二・〇キロメートルとしていた)、当時の空港の水平視程を二・〇キロメートルであつたので、管制塔の出発許可(エヤー・トラフィック・コントロール)を取得したうえで安全に同空港を離陸した。

出発時、気象台から取得した気象情報によれば、同空港より徳島空港に至る航路は、風速三ないし四メートルの南東風が吹き、気象状態は良好、安全に徳島に到着しうる見込みであつた。

(ハ) しかるに、つばめ号が友ケ島上空附近に至つたころ、針路前方空路に雲が低くなり、気象状態が悪化してきたので、清水機長は一旦大阪空港に引返すことを考慮したが、無線にて入手した情報によると、そのころ、同空港上空も気象状態が急激に悪化し、激しい豪雨となり、有視界飛行では到底着陸は困難であると判断された。その上、海岸線から大阪空港に至る地域は一帯の工場地域であつて、その煤煙によつて視界は極めて悪く、かかる気象状態では海岸線に進入することも、安全性のうえから困難であつた。しかも、一方、徳島空港周辺一帯の気象状況は良好であるとの情報があり、天気は西から東に移行するとの一般に認められた経験則に徴してこの際徳島に向けて航行するのが最も安全な道であると判断されたので、大阪へ引返すのをやめて徳島に向つた。

(ニ) しかして、右機長の判断は、天候が一般に西から東へ移動するという原則からみて、当時の大阪空港上空の気象状況は極めて悪いと判断され、また、実際に当時の大阪空港上空の気象は激悪化していたことや気象状況の悪い時に、都市上空を通過することは更に危険であつて、かかる危険は可能な限り回避するのが飛行士の常識であることからみて誠に妥当な判断であり、大阪空港へ引返すことは必ずしも安全とはいえなかつたのである。なお、大阪空港へ引返しレーダーによる誘導を求めるべきであるとの意見もあるかと予想されるが、つばめ号は単発の飛行機であつて、機種としてレーダーによる誘導飛行に適しておらず、又操縦士らもレーダーの技術を有することを法律上要求されておらずかつ、現に保持していなかつた。したがつて、レーダーの誘導によつて安全に着陸し得る保証はなく、大阪空港に引返しレーダーの誘導による進入方法を措るべきであつたということはできない。

(ホ) しかして、清水機長は、その後、気象状況の変動に充分の考慮を払いつつ、雲を避けて注意深く、有視界飛行を続けていたところ、瞬時にして雲中に侵入した(気象状況の不安定な際には、積乱雲の如く前方に山立する雲なら、予防的にこれを避行し得るが、一般の雨雲は飛行機の高速との関連からも、瞬時にして、それに包囲されることがしばしばであり、かかる現象の回避し得ざることは、航空者に顕著な事実である)。清水機長は、その時にも反航して引返すべきやを考えたが、

a 前記の大阪・徳島の気象状態(徳島周辺の上空気象は良好であるとの情報から沼島附近に至れば、気象はよくなり雲はきれている筈と判断された)。

b ターンするのには、二分の時間を要し、その間には雲をぬけていける。

c ターンするのは、針路を見失い易い危険があるのに反し、直線飛行が最も安全度が高い。

等を考慮の結果、反転飛行をやめ続航したのであつて、右時点においては、それが、最も妥当な状況判断、適切な飛行方針であつた。すなわちつばめ号が雲中に侵入した地点から徳島までは約四〇キロメートル位しかなく、しかも徳島の気象は良好との情報を得ていたのであるから、その時点において徳島へ向けて前進することの安全性を判断するのは決して不合理ではなく、また、一旦、雲中に突入した場合、ターンするのは方向を見失い易く危険であり、僅か数分で雲をぬけられるとの資料があつた本件の場合には、ターンするより直進するのがより安全であるとの判断が正しいのである。なお、本機は雲中飛行に必要な計器類は一通り装置・搭載されており、かつ、乗務員もこれを操作し得る資格と能力を具えていた。

(ヘ) 然るにその後、全く不幸にして、淡路島南端山脈に衝突したのであるが、その原因は、衝突現場附近において、出発前にもまた友ケ島上島における無線による気象情報によつても知らされていなかつた全く予知し得ざる風速一八メートルもの南風があつたため、本機が著しく北方に流されたためである。上空での風向・風速等は気象台からの情報によるのが一般かつ相当であつて、本件の場合、本機が取得すべきでありかつ取得していたあらゆる気象資料および視認した海面の状況からも、かかる局地的南風の存在は知り得なかつたのであるから、機長がこれを予知しなかつたからと云つて、注意義務に欠くるところがあつたとはいい得ない。

以上のとおり、本件事故は被告会社ならびにその使用人たる清水・野口両名が安全航行のために、尽し得べき最大の注意を払い、損害を防止するに必要なすべての措置をとつたにも拘らず予知し得ざる強風のために発生したもので不可抗力に起因するものというべく、被告会社としては、その賠償の責に任ずることはできない。

二責任の制限

(一) 運送約款の適用

仮りに、右主張が認められず被告会社に損害賠償責任があるとしても、それは約款に規定する責任限度額一〇〇万円に限られるものである。

被告会社が引受けた本件運送は、被告会社の運送約款の各条項に従つて引受られ履行せられたものである。従つて、本件運送に関する当事者間の法律関係は右約款の各条項によつて定められるものであるところ、右約款の第二四条には、乗客の死亡または傷害によつて生じた損害に対して会社が賠償の責を負う場合の賠償額は、乗客一人について金一〇〇万円を最高限度とする旨定められており、本訴請求も右の制限に服さねばならない。

ところで、運送約款等の普通契約約款は、一般にその約款を使用する企業者との定型的取引については、その内容に従つて契約を締結することを前提として作成使用せられているものであり、その約款が契約の締結に当り、取引の相手方に容易に知り得べき状態におかれ、かつ、相手方がそれによらないことの意思を積極的に明らかにしなかつた場合には、それによつて契約が締結されたものとして画一的に処理すべく予定されているものであり、このことは学説判例によつて一般に承認せられているところである。

しかるところ、本件約款も航空法第一二二条第一項、第一〇六条の定めるところに従い、運輸大臣の認可をうけ切符発売所のカウンターに常置して一般の閲覧に供せられ、何人も被告会社の飛行機の乗客たらんとする者は容易にこれを見、その内容を知悉し得るようにされていたものである。しかるに、亡孝之助は、本件運送契約を締結するに当り、特に、右約款の内容を除外する特別の意思表示をしていなかつたから、右約款を少くとも黙示的に承諾し、その内容を契約内容とする意思をもつて本件運送契約をなしたものと認めるべきである。

更に、飛行機・船・電車・その他輸送機関が運送約款に従つて乗客と画一的に契約をしていることは今日、何人も知悉しているのが通常であり、仮りに約款をみなかつたとしても、これを除外して契約する旨の特別の意思表示をしないで、運送機関を利用すること自体、約款に従つた契約をする意思を有したことすなわち約款内容に同意したことに外ならないと認むべきである。

換言すれば、仮りに黙示的な承認がなかつたとしても、なお、かかる場合でも運送約款は契約の内容を構成し、かかる約款にしたがつた契約が成立したものと解されるのであり、このことは判例も明らかに肯認しているところである。

しかして、本件運送約款、就中その第二四条の規定がここにいう普通契約約款であることは明らかであり、かつ、本件運送契約においては、右約款る排除する旨の特約はなされなかつたのであるから本件運送契約に本件約款の適用があり、従つて本訴請求も同第二四条の制限に服さねばならないのである。

(二) 責任制限の正当性、有効性

(1) 航空運送人の責任制限の約款は公序良俗に反せず無効ではない。

そもそも航空運送人の責任制度は左の如き理由ないし根拠に基いている。すなわち、

第一に、今日の文明社会において、航空運送は不可欠の運輸手段であり、その企業を保護助長する為には責任制度が必要であること。

いまさら論ずるまでもなく、航空事業は極めて危険度の高い企業であり、一旦、事故が発生する時はその損害は莫大な額に昇るのが普通である。もし、その際、運送人に無限責任を負わせるとすれば商業としての民間航空企業は到底成立しない。しかるに、公衆は直接・間接に航空事業によつて恩恵をうけ、これなくして今日の社会生活が考えられないのであるから、この事業を存続せしめ、かつ、保護、助長するために必要な有限責任制度はこれを是認せねばならない筈である。

第二に、航空事業にその負担する危険について保険を付し得るようにするために、責任制度が必要であること。

近年の我国における幾多の航空事故に如実に示された通り、航空企業は常に誠に大きな危険に曝れている。したがつて、できる限り安定した経営基盤のもとに、安全な航空事業の運営を維持する為には保険を利用することによつて、かかる危険を多年にまたは多数の企業の間に分散することが必要である。しかるに、保険はその技術上、填補範囲に一定の限度を有することを必要としており、責任額が限定されていなくては保険会社は航空事故に基く損害賠償損害を保険にとつてはくれない。したがつて、航空企業に、その危険の付保を可能ならしめる為にも、責任を一定限度に限定することが必要である。

第三、旅客(潜在的請求権者)自身にも、自己の危険について保険を付する機会、手段はあるのであつて、運送人側の賠償責任を限定したからといつて、旅客の保護が全く奪われる訳ではないこと。

第四、責任額を一定することによつて、画一、公平な事故処理が可能となり、紛争の早期解決(訴訟の回避)が計られ、結局、被害者の保護が時宜をえて確保し得る事になること。

以上が、概ね賠償制限の理由として論ぜられるところであるが、その一つ一つを分けて論ずるならば、或はそれを論駁することできるかもしれない。しかし、現実の責任制限の制度は、それらの理由の総合的理解のうえに組みたてられた合理的な制度として把握されるべきものである。すなわち、(イ)航空企業は社会にとつて必要なものであり、これを民間企業に行わせていく限りは、企業維持のために賠償額を一定額に制限すると云う一つの工夫をしなければならない (ロ)もし、無限責任を負わせるとすれば、企業は崩壊しないまでも、その危険を織り込んだ高額の運賃率を設定せざるを得なくなつて、それでは最早航空機は社会一般人が有効に使用し得る交通手段ではなくなり、一般社会は実際上航空機と云う交通手段を失うことになる。そうして、一般人が利用しなければ企業としても早晩成りたたなくなるであろう (ハ)一方、前述の如く賠償額を一定額に制限した場合でも、被害者が全く自己防衛の手段を奪われる訳ではなく、旅客は自ら自己の満足のゆく如く、その危険について保険を付することが出来るのであり、保険思想の普及した今日においては、旅客にかかる措置を期待することは、決して不合理ではない筈である。しかも、このように生命保険や損害保険を利用して莫大な損害をあらかじめ防ぐことは、今日では旅客の義務とも云えることだし、それによつて結果的には、被害者相互間、被害者と被害をうけない旅客との公平も担保されることになると考えられる。

かくの如く、航空運送人の責任制限は、社会が航空運送手段を確保していくための手段として考案された合理的な制度であつて、いささかも公序良俗に反するものではない。だからこそ、一九二九年の国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約(ワルソー条約)でも、一九五五年の同条約を改正するための議定書(ハーグ議定書)でも、運送人の有限責任を認めているし、また、我国でも前者を批准してその原則を認め、従つて、また本件運送約款も適法な認可をうけている訳である。かように、航空運送人の責任制限を定める約款は、合理的な根拠にたつものであつて、如何なる意味においても公序良俗に反しない。

(2) 賠償責任限度額一〇〇万円の妥当性

本件運送約款第二四条に賠償限度額を一〇〇万円と定めているが、右約款の定めは社会通念上相当であつて、完全に有効である。

ここに想起すべきは、我国商法六九〇条第一項の規定である。そこでは、携わる事業の危険の大きさ、一旦発生した際の損害の大きさ、企業の社会的有用性、要保護性等多くの点で航空運送人と類似する海上運送人に対して、委付による免責が法律上認められている。而して、海上における大事故―多くの場合船舶は全損に帰する―において、かかる委付免責制度が認められる時は、被害者に対する賠償額は実質上零ないしそれに近い結果となる。それにも拘らず、法は主として前述したと同じ理由から有効なる制度として認めているのである。航空運送人に対し委付を認める規定はないが、運送人としての責任の性質の類似性に鑑みるとき、航空運送人の責任制限制度の法律上の効力を判断するに当つては、右の委付制度を許す趣旨を類推し、かつ同じ法的価値判断の基準ないし尺度によるべきであつて、契約すなわち約款による賠償限度額の高低により公序良俗違反を云ゝすること自体、明らかに誤つた法律解釈といわねばならない。

況んや、本約款の定める一〇〇万円の限度額は、事故当時の社会通念において、著しく低額にすぎるなどとは決していえないのであるから、本約款はもとより相当かつ有効であるといわねばならない。しかして、右限度額が一般社会通念上、相当なりや否やの判断はあくまでも当該約款が適用される事件の発生時を基準とすべきであり、請求がなされた時ないし解決がなされた時期を以て判断すべきではない。何故なら、請求ないし解決が遅れた場合、その時点と事故当時の間には貨幣価値の変動、法制の変更、社会通念の変革がありうるし、それに沿つて運送約款自体も変更、修正せられる。しかし、一定事故にもとづく請求に適用されるべき約款はあくまでも当該事故の当時の約款であり(それが契約の内容をなしているのだから)、その約款の評価は、その時点における価値判断、社会通念に照らしてなされるべきは自明の理だからである(因みに本件約款も、昭和三五年六月に認可を受けて有効に発生した。その後、昭和三八年五月二〇日責任限度額を三〇〇万円とする国際航空運送に関するハーグ条約を我国が批准したことから、国内航空運送についても、右と同趣旨の約款を自発的に採用すべく、被告会社も同三八年六月二九日新約款の認可申請をなし、その認可を受け新約款を採用したのであつて、同日までは当然本件約款が国の認可ある適法かつ有効な約款であつたのである)。

我国における交通死亡事故による損害賠償額は、請求額においても裁判所の認容額においても、近年その増額化は著しいが、それは昭和三九年頃からの傾向であつて、それ以前はかように高額ではなく、従つて社会通念上も加害者側の賠償請求額も一般に今日ほど高額ではなかつたのである。例えば、判例集(交通事件裁判例類纂)に搭載されている昭和三七年度の主要事例六件のうち、認められた損害額が一〇〇万円をこえるものは僅かに一件にすぎず、また、和解調停による交通死亡事件の解決賠償額をみると、本件事故後一両年である昭和三九、四〇年でも、尚一〇〇万円以下で解決している件数が全体の六割近くを占めている(ジュリスト三三九号三九頁)。これからみても、昭和三八年当時までは死亡事件における賠償額として定額一〇〇万円を定めることが一般社会通念上、不相当であつたとは云えず、仮りに、百歩譲つて、今少し高額であつたことが望ましいとしても、それは社会通念上著しく不当であつたなどとは到底いい得ないことが明らかである。

しかして、最後に附言すべきは、航空運送約款における責任限度額は、現実の航空運送事業において、その事業計画、運航形態と規標、安全操業のための投資とその施設の運用、運賃率、責任保険の対策等と相互に密接不可分の関係を有し、それらの相互関係の均衡にたつて、総合的企業運営の一貫作業の中で定められているということである。限度額をひき上げれば運賃率の高騰を招くと云うことは既に述べたが、影響は単にそれに止まらない。航空企業の事業にも計画にも具体的な航空機の運航にも重大な影響が及ぶのである。従つて、責任限度額約款の相当性の判断も、当然右の事理をわきまえた総合判断のうえにたつて、航空運送事業の社会有用性との均衡のとれた合理的判断をなすべきであつて、単純に責任限度額のみをとり出し、他の重要なる要素を亡却し、いたずらに人命尊重の美名をふりかざし、高額であればある程よいと云つた考えから評価判断されるべきものではない。かような判断のもとで、軽々しく約款無効論を唱えるときは、危険度が高いがしかもなお社会に不可欠なる航空輸送手段を提供している航空運送企業を故なく崩壊せしめ、社会の文明手段を自から奪うものであつて、全く軽薄な理論と云う外ないであろう。

三原告らの請求額の不当性

(1)  原告らは、亡孝之助の逸失利益の算定にあたり、総収入より所得税のみ控除し必要経費を控除していないが、右孝之助の如く高額所得者の場合には、その必要経費は高割合となると考えられるから、少くとも総収入の五割は必要経費としてこれを差引くべきである。

(2)  葬儀費一四〇万円は、死者の身分に相応しい葬儀という観点よりみると余りにも膨大である。

(3)  原告らは慰藉料として総額一、一〇〇万円を請求しているが、甚しく不相当である。

第四  証 拠

(原告)

(1)  書証 甲第一ないし四号証の各一、二、同第五号証、同第六号証の一、二、同第七、八号証、同九号証の一ないし七、同第一〇号証の一ないし五、同第一一号証の一ないし四、同第一二号証の一ないし五、同第一三ないし一五号証同第一六号証の一ないし五一、同第一七号

(2)  人証 証人浜田久八郎、同豊穂稔重の各証言、原告代表者尋問の結果

(3)  書証の認否 乙第二号証の成立は認めるが、その余の乙号各証の成立は不知

(被告)

(1)  書証 乙第一ないし三号証

(2)  人証 証人藤本直、同生駒広三の各証言

(3)  書証の認否 甲第一四、一五号証、同第一六号証の一ないし五一の成立は不知。その余の甲号各証の成立は認める。

(書証の認定)

甲第一四、一五号証、同第一六号証の一ないし五一はいずれも原告会社代表者尋問の結果により、乙第一号証は証人生駒広三の証言、乙第三号証は弁論の全趣旨により、いずれも真正に成立したものと認める。

第五  争点に対する判断

一責任原因

本件全証拠によるも、本件つばめ号の運航に関し被告会社ならびにその使用人たる操縦士・機長清水祥男および運航補助者野口剛において損害を防止するために必要なすべての措置をとつたものとは認められず、被告会社は本件事故に関する損害賠償責任を免れることはできない。

(一)  被告会社の責任と運送約款の適用

本件事故に関する被告会社の責任の存否を定めるについては、まず、航空運送人たる被告会社とその旅客であつた亡孝之助との間に締結された本件運送契約の内容が検討さるべきである。

しかるところ、<証拠>によれば、被告会社には昭和三五年六月七日以降航空法一二六条、一〇六条により運輸大臣の認可を受けた被告主張の如き運送約款が存在し、同約款は大阪空港の被告会社待合所搭乗受付のカウターに冊子として紐で吊りさげられていたものと認められる。証人<省略>の各証言は右認定を左右するに足りず、他にこれを覆すに足る証拠はない。

しかして、本件運送約款の如きいわゆる普通契約約款は、元来、集団的取引の簡易化、迅速化のためその一般的定型的契約の内容をなすべきことを予定して作成せられているものであり、かつ、本件の如き航空運送契約については一般に定型的運送約款が作成、使用され、それが運送契約の内容をなすべきものとして取扱われていることは広く世間一般に承認せられているところであるから、当事者が特約によつて、特にこれを排除しないかぎり当該約款にしたがつた運送契約が成立したものと解するのが相当である。

しかるところ、本件においては何ら右の如き特約の存在は主張、立証されないのであるから、たとえ、亡孝之助において本件約款が前記カウンターに置れていることを知らずその内容を詳知しなかつたとしても、なお、本件運送契約の内容は、一応、本件運送約款に従つて定めらるべきものと認めるのが相当である。

(二)  被告の無過失立証責任

しかるところ、前掲<証拠>によれば、本件運送約款は旅客の死亡または傷害等の事故に関し第六条但書において「会社が会社およびその使用人が損害を防止するため必要なすべての措置をとつたこと、またはその措置をとることができなかつたことを証明したときは責任を負わない」旨規定していることが明らかであり、本件の如き旅客の死亡事故については被告会社において自己および使用人の無過失を立証しない限り損害賠償責任を免れないものと解するのが相当である。

(三)  免責事由(無過失)の不存在

そこで、進んで、本件事故につき被告会社およびその使用人たる機長・清水祥男と運航補助者野口剛らは全く無過失であつたか否かの点について検討するに、<証拠>よれば次の事実が認められる。

―本件事故発生までの飛行概況―

(イ) 被告会社の従業員たる機長清水祥男、運航補助者野口剛の両名は昭和三八年五月一日亡孝之助外八名の乗客をのせたつばめ号に搭乗し大阪空港より徳島に向けて出発したのであるが、同日午前七時現在の右空港の地上視程は二・五マイルであり有視界方式による離陸許容視程たる三マイルに満たなかつたため特別有視界飛行方式による離陸の承認を求め、同空港管制塔より「高度一、五〇〇フィートまたはそれ以下で南西に飛行して大阪航空交通管制圏(大阪空港の標点を中心とする半経九キロメートルの円の地表面より上空二四、〇〇〇フィートの空間)から離脱し、有視界気象状態になつたら報告せよ」との管制承認を得て、午前八時一一分、同空港を離陸し右管制指示どおり飛行して前記管制圏を離脱し、堺市西方海上附近上空に達した頃、高度二、〇〇〇フィートで視程三マイルとなり有視界飛行状態となつたので、前記管制塔に対し超短波無線電話送信機でその旨通報して同管制塔の承認を得、その管制を離れた。

(ロ) その後、つばめ号は、被告会社の連行規定に定める大阪―友ケ島・徳島―航路によつて飛行し大阪湾東海岸沿いに南下するうち層雲と霧のため次第に進路前方、西側の視程が狭まつてきたので高度二、〇〇〇フィートから徐々に高度を下げながら飛行して、同日八時三九分ごろ、高度約五〇〇フィートで友ケ島上空附近に達したが、淡路島および飛行経路上の目標である沼島は、一面の層雲に覆われて視認できなかつたため、徳島方面への通常の変針点である右友ケ島上空で変針せず、更に沼島方面の雲の状況を窺いながら約一分間南下してみたが、沼島、徳島方面は依然として層雲と霧の混合した状態で視界が妨げられ、同方向の視程はわずかに一マイル足らずでその状態は更に南方にまで続いていてその間に雲の切れ間は認められず、雲と海面との間にも視界の開けた個所は見当らなかつた。なお、清水、野口の両名は友ケ島附近の上空で認めた海面の白波の状態から同所附近では一〇ノットないし二〇ノットの風が吹いているものと判断していた。

(ハ) 清水機長は、右の如き状況の下で沼島、徳島方面向け変針し同方向に飛行すれば間もなく層雲中に突入し視界を失う虞れのあることは充分認識していたのであるが、前記友ケ島附近上空通過後間もなく、被告会社の徳島営業所から徳島空港の地上視程は約六マイルで気象状態は良好との情報を得ていたことと従来の飛行経験に照し、一時層雲中に突入して視界を失つてもせいぜい一〇分間位飛行すれば鳴門海峡に達することができ同海峡までいけば南の風が吹き抜け気象状態のよいところへ出られるものと判断して、徳島へ向けて飛行すべく決意し、前記友ケ島から約一分間南下した地点において、徳島無指向性無線標識施設の周波数に合わせていた自動方向探知機の指針が零度を示すように変針し、層雲の下を潜りぬけるべく高度を約四〇〇フィートまで下げて飛行したが、間もなく層雲中に突入し視界を失つた。しかし、そのまま飛行すれば沼島の南海岸上空を通過しうるものと考えた同人は約三、四分間視界を失つたままで飛行し、その後、運航補助者野口の進言により沼島の高地に衝突することを避けるつもりで高度を約九〇〇フィートに上げて約一分間飛行したところ、間もなく本件事故が発生したのであるが、右清水機長らはつばめ号が南風のために北に流されて予定のコースをはずれ淡路島上空を飛行していることには全く気づいていなかつた。

(ニ) なお、つばめ号には当時約三時間飛行するに充分な燃料、滑油等が搭載されており、また、被告会社の当時の運航規定(飛行実施要領)には、大阪―徳島間の航路につき、最低安全高度―水面または地上の最も高い物件の上端より二、〇〇〇フィート以上、最低気象条件―地点、友ケ島および沼島においては各、雲高一五、〇〇〇フィート、視程三マイル、と定められていた。

―注意義務の違反―

以下、右認定の事実にもとづき、右清水および野口の両名が本件事故の発生を回避するため必要なすべての措置を講じたものといえるか否か、また、その措置をとることが不可能であつたか否かについて検討する。

しかるところ、前認定の事実によれば、清水機長は、徳島に向けて飛行した場合層雲の中に突入し視界を失う虞れのあることを充分認識しながらあえて前記の如く徳島に向けて変針したものであり、被告の主張する如く予期し得ずして雨雲に包囲され視界を失つたものでないことは明らかである。

しかして、本件つばめ号については計器飛行方式による飛行は許されておらず、有視界飛行方式によつて飛行すべきものであり、しかも、当時、前記変針点附近から飛行経路にあたえる沼島方面一帯には層雲と霧が立ちこめていて有視界気象状態になく、被告会社の運航規定に定められている最低安全高度二、〇〇〇フィート、視程三マイルの前記飛行実施要領はとう底遵守し得ない状態にあつたにも拘らず、あえて右規定に違反してまで前認定の如く徳島に向けて飛行を続行することは、多数の乗客を載せて運航する営業時の飛行としては極めて異例なものというべく、かかる異例の運航は、周囲の気象状象その他の諸般の状況からみてそのような飛行方法をとる以外に途がないかあるいはそれがとり得る飛行方法のうちで最も安全かつ妥当なものと認められる場合以外には、みだりに許さるべきものではなく、また、もし、どうしても右の如き状況で飛行しなければならなくなつた場合には、貴重な人命を預る飛行機の操縦者としては、あらかじめ飛行機の所在位置および飛行経路をできるだけ的確に把握するよう努めるとともに、飛行進路上の雲の状態、偏風の存否、飛行の障害となるべき高地や山の有無に留意し、最も安全な飛行進路を選び、途中その進路をはずれることのないような最大、細心の注意を払つて飛行し、事故発生の危険を防止するため万全の措置を講ずべき義務がある。

しかるところ、清水議長は友ケ島上空より約一分位南下した地点で層雲の下を潜り抜けて徳島に向うべく変針したのであるが、その際右変針地点の正確な位置を把握しておらず、かつ前方の層雲の厚み、広がり或は偏流の有無についてはこれを確認し得ず、途中、視界を失う虞れのあることは充分認識していたにも拘らず、単に自動方向探知器によつて進路を徳島に向けて飛行したものであり、途中、南風のため同人が沼島附近上空を通過するものと想定していた飛行進路からかなり北方へ流され淡路島上空を飛行していることに気づかなかつたため、本件事故の発生をみるに至つたのであるが、<証拠>によれば、飛行中、風によつて飛行機が流される場合、強い風であれば直接機体の動揺によりあるいは方向探知器によつて直ちに知り得るし、特に強風という程でなくとも三ないし五分間飛行している間には方向探知器によつて偏流の有無を察知し得るというのであり、また、清水機長らは前示の如く友ケ島上空附近では海面の白波の状態からみて一〇ないし二〇ノットの南風があるものと判断していたのであり、当時の前記気象状況からすれば沼島上空附近にも偏流のあることが全く予想されないような状態ではなかつたのであるから、清水機長らにおいて偏流の有無の確認および予定の飛行進路の確保のために細心の注意を払い方向探知器を注視していたならば、前記の如く四ないし五分間雲中飛行をしている間に、南風の存在およびこれにより予定の進路をはずれて北方に流されていることを知り得た可能性が全くない訳ではなく、また、もし、これに気づいておればいま少し早く高度を上げるなどして本件事故を回避し得たかもしれず、少なくとも、これが不可能であつたと断定するに足る証拠はない。

そうだとすると、右清水らが予定の進路をはずれ北方に流されていることに全く気づかなかつたのは、同人らにおいて前述の如き注意義務を尽していなかつたためと推認せざるを得ず、同人らが本件事故発生を防止するための措置を講じていたものとは認め難い。本件事故が被告の主張するように全く予期し得なかつた強風のために生じたものであるとはとうてい断定し得ないところである。

また、もし、右清水らにおいて沼島上空の気象状況を的確に把握することが不可能であり、雲中に入つた時点においては進路を確認することが困難であつたとすれば、そのような状況の下であえて徳島に向けて飛行したこと自体の当否が問われねばならない。

そこで、右の如き状況の下であえて沼島上空を通過して徳島へ向つて飛行しようとしたことが、当時の気象状況その他の事情からみて最も妥当な措置であつたか否か、それ以外にとるべき手段は存しなかつたか否かの点について検討するに、飛行進路である沼島上空附近の視界が極めて悪くその気象状況を的確に知り得ず同所附近の層雲と霧の中を無事通過し得るとの確たる見込みもないのに、あえて、運航規定に反したとえ長時間ではないにしても視界を失う危険を冒して飛行することは、それ自体極めて危険な行為であることは明らかであり、一方、<証拠>によれば、大阪空港附近の気象状況は出発当時から良好でなくその後更に悪化していたにしても、なお、同空港に引返しレーダー等の誘導をうけて緊急事態による着陸を行なうことは不可能ではなく、また、大阪空港に着陸することはできなくとも他の気象状態の良い空港等に着陸し得る可能性は充分存したと認められるのであるから一旦大阪空港に引返すか、少くとも、前記変針地点から徳島へ向つて飛行する以前に、一旦、大阪空港附近に引返して大阪空港管制塔ないし被告会社の営業所と連絡をとり状況を通報して大阪ないし最寄りの空港への着陸の可否を確認したうえで去就を決するのが妥当であり、また当時約三時間飛行し得るだけの燃料を搭載していたことからみてもそのような措置をとるだけの余裕は充分あつた筈である。

しかるに、清水機長は何ら右のような措置をとらずにあえて、視界を失う危険を冒して徳島へ向けて直行したものであり、それが唯一、最善の措置であつたとはとうてい認め難い。

以上、いずれの点からみても、被告会社の使用人たる右清水らにおいて本件事故を防止するため必要な一切の措置を講じたものとは認められず、そのような措置をとることが不可能であつたと認めさせるに足る証拠もない。したがつて、この点に関する被告の主張は採用し難く、被告は本件事故に関する損害賠償責任を免れ得ない。

二責任制限の適否

本件運送約款第二四条は被告会社が乗客の死傷につき責任を負う場合の損害賠償の最高限度額を一〇〇万円とする旨規定し、被告会社の責任を制限するところ、原告らは右の如く乗客の人身事故に関し損害賠償責任を制限すること自体人命を軽視するものであり、一般条項の乱用であつて許されず、そうでなくとも右限度額はあまりに低くきに失し公序良俗に反するものとして無効である旨主張する。

(一)  責任制限自体の適法性

人間の生命、身体は人の生存の根本的基礎そのものであり、何にもまして人命が尊重せらるべきことについては何も異論のないところであろうし、本件の如き人身事故、人的損害の損害賠償の関係においては人命の尊重とか被害者ないしその家族の救済という面での配慮が強く要請されるのが常であり、また、当然でもある。現に、商法が陸上および海上の旅客運送に関する損害賠償の決定につき、特に、被害者および家族の情況を斟酌することを要する旨規定するのは(商法五九〇条二項、七八六条)、右の如き趣旨を顕らわしたものというべく、このように被害者ないしその家族の保護、救済につき格別の配慮が要請されるのは、本件の如き航空運送の場合においても、陸上および海上の旅客運送の場合と何ら変りはない。

しかして、右の如き人命尊重、私人の権利の保護、被害者の救済という見地に立ち、かつ、本件運送約款の如き普通契約約款が元来企業者により一方的に設定され実質的には企業者の経済的優位の維持、強化の企図があらわれ易いものであり、顧客たる乗客は事実上その内容を知ると否とに拘らずこれに拘束されるものとして取扱われていること(本件運送約款もその例外ではない、少くとも例外と認むべき証拠はなにもない)を考慮すれば、運送約款という取引形式によつて一方的に航空運送人の責任を制限すること自体を不当とし、かかる制限条項の有効性を疑問とする原告らの主張は充分考慮に値するものといわねばならない。

しかしながら、他面、航空運送を今日の文明社会における不可欠の運輸手段であると認め航空旅客運送が民間企業として行なわれることを承認しこれを前提とする限りにおいては、被告の主張するように健全な企業の保護、育成という要請もまた着過し得ないところであり、企業的採算の基盤を全く無視して航空運送人の責任の存否ないしその限度を論ずることは妥当でない。

航空運送人の責任制限を有効と認むべきか否かは、右の人命尊重、被害者の救済と企業の育成、保護という二つの要請の調整という見地から解決さるべき問題であるといわねばならない。

しかるところ、本件の場合、被告は無過失責任(結果責任)を負うものではなく約款第六条所定の事由を立証した場合には免責され過失責任を負うにすぎないが、航空運送においては、一旦、墜落事故が発生した場合にはその損害が莫大な額に達するのが通例であり、それだけに帰責事由の認められる限り無制限の責任を負わねばならないとすれば、企業にとつて少なからざる負担になることは否定し得ないところである。

しかも、被告の主張する如く、航空運送業者が責任制限の制度をとり入れることにより予め損害賠償額の限度を知りこれを付保して危険の分散をはかろうとすることは営利企業として当然のことであり、それが経営活動に予測性と計算性を与え企業の維持という観点からみれば合理的な好ましいものであることも疑いない。また、もし、航空運送人において無制限の責任を負うべきものとし、財産的損害(逸失利益)の算出について従来の如き算定方法をとり乗客の収入の多寡によつて賠償さるべき損害額を異にすると解する限り、巨額な賠償債務を負担すべき場合に備えて営業政策上可能な限り高額の運賃を設定しようとする可能性の強いことは明らかであり、これを乗客相互の関係においてみるならば比較的少額な賠償しか得られないであろう大衆の負担において巨額の賠償を受くべき高額所得者に対する賠償がなされるという仕組ないし結果にならないとは断言し難いところである。そして、一方、相当額による責任制限がなされた場合でも乗客としては右限度額以上の損害については別途に任意保険を利用することによつてその損害の填補をはかりうる余地は存するのであり、保険制度の発達をみている今日、乗客に対しその程度の措置をとるべきことを期待してもあながち難きを強いるものとも云い難い。

以上、運送人の責任を制限することの企業経営上の必要性ないし合理性およびこれを禁ずることが必ずしも一般乗客にとつて有利とばかりは云い得ないことおよび国際航空運送に関するワルソー条約およびハーグ議定書においても運送人の有限責任が規定され広く承認されていることを考慮すると、責任限度を制限すること自体を当然に違法、無効であるとまでは断定し得ない。

尤も、このように運送約款によつて事実上、一方的に航空運送人の責任を限定することを有効とすることは、そのこと自体航空運送人に対し極めて大きな特典を与えるものであるというに妨げなく、損害が航空運送人ないしその使用人の故意または重大な過失により発生した場合にまでかかる条項の援用を許すことは著しく被害者の権利を制限して不当に運送人の利益を保護することになり衡平の観念に反するものといわねばならない。したがつて、損害が運送人ないしその使用人の故意または重大な過失により発生したような場合には運送人において責任制限の条項を援用することは許されないものと解するのが相当である(ちなみに、ワルソー条約やハーグ議定書においても右にいう故意ないし重過失に相当するような場合には責任制限の規定を援用し得ない旨定めている)。

(二)  本件約款の責任制限条項の効力

そこで、被告の賠償限底額を一〇〇万円とする本件運送約款第二四条の有効、無効につき検討するに、航空運送人の責任制限を有効と認むべきか否かは単にそのことのみについて抽象的に論ぜられるべきものではなく、責任原因の態様(無過失責任か過失責任か)、責任制限の規制方法、ことに制限限度額の多募等を相関的に考慮し、被害者の救済と航空企業の育成、保護という基本的な二つの要請の妥当な調整という見地から解決さるべき問題であり、責任制限条項の有効性はその制限限度額が右の如き見地からみて合理的かつ妥当なものであることを前提としその限りにおいてのみ承認せられるものと解するのが相当である。

しかして、本件の如き人身事故に関してまで運送約款による航空運送人の責任制限を有効と認めるのは、前述の如く近代社会における航空運送企業の社会的必要性、有用性を認めてその発展を保護、助成しようとするものであり、そのために何にもまして尊重さるべき人命の尊重、被害者の救済という要請に対しあえて譲歩を求めるものにほかならないのであるから、その制限の限度は企業の健全な維持、発展のために必要な最少限度にとどむべきであり、いたずらに企業者の経済的優位、利益の維持、強化を企図するものであつてはならず、企業者としては、絶えず、責任制限の限度額を前記の趣旨からみて合理的かつ妥当な額に維持、改訂すべき責務を負うものというべきである。このことは、本件運送約款が訴訟上の管轄の合意等と異なりいわゆる普通契約約款として企業者の一方的設定にかかるものであり、実質的に企業者の経済的優位、利益の維持強化のために利用され易いものであるにも拘らず、乗客においてその内容を知悉していない場合にも特約のない限り当該約款の適用を受くべきものとされ、事実上、その適用を強制されるに近いことの反面として、衡平の観念に照らし条理上当然に要請されるところと考えられる。(一般に、普通契約約款の趣旨不明な条項は企業者の不利益にといわれているのもこうした衡平の観念のあらわれというべきであろう)。

そこで、以下、右の如き観点より被告の賠償限度額を一〇〇万円とする本件運送約款第二四条の適否効力につき検討することとする。

いうまでもなく、人間の生命、身体に対する侵害は人の生存の根本的基礎そのものを直接に奪うものであり、かかる危険の発生に対してはあらかじめ可能な限りの万全の予防措置がとられるべきであるとともに、一旦、人の生命、身体が侵害された場合にば、その侵害につき責任を負うべき者は元来、これにより生じた全損害を賠償すべき責に任ずるのが原則である。

しかるところ、人の死傷により発生する損害中最も主要かつ高額なものは一般に得べかりし利益の喪失と精神的損害(慰謝料)であり、逸失利益についてみれば従来広く行われているように被害者の収入より生活費等の必要経費を差引きこれに稼動期間を乗じて算定するという方法をとる限り、ここ数年来の我国の国民の所得水準からみてその数額が数百万円ないしそれ以上に達するものも稀れではなく、健全な勤労成年男子を例にとればむしろそれが通例であることは、一般の自動車事故に関する損害賠償の事例からみて当裁判所に顕著なところである。ことに、飛行機事故の場合、これを利用する乗客には概して我国の国民の所得水準からみて低所得層といわれる者は少く、少くとも中間所得層ないしそれ以上の所得層に属する者が多く、またいわゆる社会的地位も比較的高いわと認められる者の多いことはいわば公知の事実であるから、飛行機の乗客が死傷した場合、その逸失利益の数額が数百万円ないしそれ以上に達する者も決して少数でないのであろうことは容易に推認されるところである。

しかも、乗客ないしその遺族らが蒙る損害は右逸失利益のみならず精神的損害(慰藉料)その他の損害を含むものであるからこれを合算すればより高額になること自明の理であり、前記条項に定める一〇〇万円の限度額は、右の如くして乗客が実際に蒙るであろうと予測され得る損害額に対比すればいかにも低額であることを否定し得ない。少くとも、乗客が現実にいかに莫大な損害を蒙つた場合にでも適用さるべき賠償額の最高限度額としては著しく低いものであるし、何にもまして尊重さるべき貴重な人命の喪失に関する全損害を填補すべき金額としてはあまりにも低額であるといわざるを得ない。

そこで、ひるがえつて、右一〇〇万円の限度額が前述の全業の保護、育成という見地からみてやむ得ないものであつたか否か、云いかえれば、より高額の限度額を定めることは企業の存立自体を危くし健全な企業経営を困難ならしめるものであつたか否かが検討されねばならない。尤も、右にいう企業の保護の必要性は単に被告会社という特定の一企業の経営状態のみに照らして論ぜられるべきものではなく、広く我国航空企業界の一般の水準を基準にし更には世界の航空企業の実情をも参酌して論ぜられるべきものといわねばならない。蓋し、特定企業の経営状態は多分に個々の企業の営業政策の良否、優劣によつて左右されるものであり、責任制限の有効性を認める根拠は、前述の如く近代社会における航空運送の必要性、有用性を認めその健全な発展を期することにあり特定の企業の保護を目的とするものではないからである。

しかるところ、被告は責任限度額は航空企業の事業計画、運航形態と規標、安全操業のための投資とその施設の運用、運賃等と密接不可分の関係を有するものであるから、その相当性の判断にあたつてはこれらの事情をも総合考慮すべき旨主張するところ、責任制限条項の有効、無効を論ずるにあたつて右の如き事情をも考慮すべきことは被告主張のとおりであろうが、本件においては、本件事故当時の被告会社ないし我国航空企業の規模、事業計画、運航形態等経営の実情を詳らかにし、前記一〇〇万円の限度額が営業の実体に照らしできうる限りの最高の限度額であつたことを肯認せしめる証拠は何にもない。かえつて、<証拠>によれば、本件事故当時すでに日本航空株式会社、全日本空輸株式会社等においては賠償責任の限度額を三〇〇万円と定めていたこと、被告会社としても当時すでに右一〇〇万円の限度額は必ずしも相当でないものと認識しており、本件事故後間もない昭和三八年六月には限度額を三〇〇万円とする旨約款を改訂していること、のみならず本件事故による亡孝之助以外の被害者とは本件約款の制限に拘泥せず三五〇万ないし三六〇万円の賠償金を支払つて示談解決していること、更には、国際航空運送に関してではあるが一九二九年に作成されたワルソー条約においてすでに責任限度額が約三〇〇万円とされ一九五五年のハーグ議定書においてはそれが約六〇〇万円に改訂されているものと認められ、これらの事情を考慮すれば、本件約款に定める一〇〇万円の限度額は本件事故当時の我国企業の一般水準からみても低くきに失したものであることは否定し得ず、責任制限を承認する前述の如き趣旨に照らし合理性、妥当性を有しないものといわねばならない。

以上のとおり、本件運送約款に定める一〇〇万円の限度額が飛行機の乗客が死亡した場合に実際に発生するであろうと予測され得る損害額に比して著しく低額であるのみならず企業の維持、育成という点からみても必要な最少限の限度額とは云い得ないのであり、前述の被害者の救済と企業の保護という二つの要請の妥当な調整という見地からみれば、承認さるべき合理性、妥当性を有しないことは明らかであるといわねばならない。

しかして、責任制限を認める根拠を被害者の救済と企業の保護の調整にありとし、責任制限条項はその限度額が右の二つの要請の調整の見地からみて合理的かつ妥当なことを前提としてその限りにおいてのみ承認さるべきものであるとすれば、右の如き合理性、妥当性のない制限が、企業者の一方的設定にかかる運送約款という取引形式をとることによつて、事実上、乗客に対し強制される結果になることを承認することは著しく正義、衡平の観念に反するものといわねばならない。もし、一般乗客があらかじめ右制限限度額を知つた場合、これを妥当な制限額として承認し、納得したものは果して何人いるであろうか。少くとも、一旦、事故が発生した場合、大多数の乗客が右制限額の合理性、妥当性を否定したであろうことは、本件事故の場合でも亡孝之助以外の被害者の関係では、すべて、前記の如く右制限額を大きく上廻る三五〇万円ないし三六〇万円の金額で示談がなされていることからも容易に推認されるところである。

そうだとすると、形式上運送約款による契約が成立したからといつてあくまでも右制限条項に従うべきものとすることは、結果的には、企業者たる被告が経済的優位にあることを利用して事実上これに対抗する手段を有しない乗客に対し不当な不利益を課することを承認することになり、実質的平等、衡平の観念に反するものといつても過言ではない、結局、本件運送約款第二四条に定める一〇〇万円は、乗客の死傷事故に関する責任の最高制限額としてはあまりに低額に過ぎ、かかる条項の適用を強いることは公序良俗に反し許されないものと解するのが相当である。

被告は企業の性質、社会的有用性、要保護性等の点において航空運送人に類似する海上運送人に関し委付免責の制度が認められていることからみて、航空運送人の責任制限条項につき制限額の高低によりその効力を論ずること自体誤りであると主張するが、右委付の制度の存在は多分に沿革的理由によるものであつて、その近代化の必要性ことに契約上の責任についてまでかかる制度を認めることの不当性はつとに指摘されているところであるのみならず、我商法の定める委付主義の如きは加害船舶が沈没したような場合でも賠償義務者たる企業者はその沈没した船舶を総債権者に委付して責任を免れうる点において極めて不合理であるとして早急に改正さるべきことが提唱されているのである。したがつて、かかる制度の趣旨を類推すべしとする被告の主張は合理性を欠くものであり採り得ない。

次に、被告は前記制限額の相当性は本件事故発生当時の価値判断、社会通念に照らし判断さるべきものであり、当時の基準によれば右制限額は何ら不当でない旨主張し、これを裏付けるべきものとして自動車事故に関する損害賠償事件で一〇〇万円以下の金額で解決されている事例の多いこと(ジユリスト三三九号、交通事件裁判例類簒)を指摘する。

しかし、本件運送約款の責任制限条項が有効なものとして裁判上その効力を主張し得るためには、その約款による契約締結当時の価値判断、社会通念に照らし妥当なものであることを要するのみならず、その内容を実現しようとする時点においても法的保護を求め得るだけの社会的妥当性を有しているものでなければならない。したがつて、右契約締結当時の事情が考慮、尊重されねばならぬことは当然であるとしても、もし、被告の主張が本件事故当時の価値判断、社会通念のみを基準とすべきであり、それ以後の事情の変化は一切考慮さるべきでないというのであれば、右の主張にはにわかに賛同し得ない。のみならず、被告の指摘する資料(ジユリスト三三九号三九頁)によるも死亡事故では三〇〇万円ないし五〇〇万円の賠償額で解決されている事例の少くないことが明らかであるし、むしろ、本件事故以前に発生した死傷事件についても数百万円以上の損害が認定されかつ認容される事例もかなり多いことが窺われる(同五二頁、五六、五七頁参照)。したがつて、本件事故当時の評価に照らせば前記制限額は妥当なものであつたとする被告の主張も直ちに採用し難く、訴訟における賠償額は当事者の主張、立証の仕方ないしその当否(内金請求、所得の立証困難、資料の散逸)および過失相殺の有無によつて大きく左右されることや司法的救済の性質上免れ難い保守性、消極性および技術性により訴訟の結果には必ずしも一般社会の価値判断ないし要求が直ちに反映されるとは限らないことを考慮すれば、たとえ、死傷事故について一〇〇万円前後の賠償額で解決された事例が存するとしても、そのことは、本件約款の一〇〇万円は損害賠償額の最高制限額としては低くきに失するものとした前記認定の妨げとなるものではない。

なお、本件運送約款が主務大臣の認可をうけたものであることは前示のとおりであるが、右認可は、元来、約款に対する行政的監督たるに止まるものであり(認可は必ずしも約款の有効要件をなすものではない)、その効力を最終的に決定するものでないのであるから、右の如く認可がなされていたにしてもそのことから直ちに前記責任制限条項が有効であると云い得ないことは勿論である。

三損害の発生

(一)  亡孝之助の逸失利益とその相続

亡孝之助は本件事故により死亡したため金一、三八一万二〇七九円の得べかりし利益を失い、これと同額の損害を蒙つた。

原告スマ子は亡孝之助の妻として、原告和孝、同芳孝の両名は同人の子として法定相般分に従い右損害賠償請求権を三分の一宛相続し少くともその主張の如く四五〇万八三九九円宛の請求権を取得した。

右損害算定の根拠は左のとおり、

(1) 収入、月額九〇、〇〇〇円

原告ら主張のとおり。

(資料、甲第一四号証、証人仲野広行の証言)

(2) 生活費、月額三〇、〇〇〇円

前出第一の三の亡孝之助の職業と家族関係および右(1)の収入その他同人の生活状況等を考慮すると同人の生活費は月額三〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(資料、証人仲野広行の証言、弁論の全趣旨)

(3) 就労可能年数 三三年

亡孝之助は、本件事故当時満三八才(大正一四年三月二七日生)の健康な成年男子であり当時原告会社の専務取締役であつたが、同社はいわゆる同族会社であり亡孝之助が中心的存在となつてその経営にあたつていたものであり、同人としては健康の許す限り右経営に携わり得る立場にあつたと認められるので、同人はその平均余命(三三・五九年、昭和三八年度簡易生命表)の範囲内で、なお、三三年間は就労し得たものと認めるのが相当である。

(資料、甲第一号証の一、証人仲野広行の証言、弁論の全趣旨)

(4) 逸失利益の現価

亡孝之助の右就労期間中に得べかりし利益の本件事故当時における現価を、ホフマン式算定法(年五分の中間利息控除、年別単利年金現価率による)によつて算出すると左の算式により金一、三八一万二〇七九円となる(円未満切捨)。

(90,000円−30,000円)×12×19,18344436=13,812,079円

(二)  原告会社の損害、一四〇万円原告会社主張のとおり。

亡孝之助は、前示の如く原告会社の専務取締役として同社の経営全般につき中心的存在となつてその運営にあたつていたものであり、そのような者が社用で出張の帰途、本件の如き不慮の事故により死亡した場合、その葬儀を原告会社の社葬として行つたとしても何ら不審はなく右葬儀費用も社葬として行われたものであることを前提とし亡孝之助の前記立場に照らせば特に不当とは認められない。

(資料、甲第一五号証、同第一六号証の一ないし五一、証人仲野広行の証言、弁論の全趣旨)

(三)  慰謝料

本件事故の態様、前出の亡孝之助と原告ら(原告会社を除く)の身分関係、ことに、原告スマ子は残された二人の幼児(本件事故当時、原告和孝は満七才、原告芳孝は満三才)を今後女手で養育せねばならなくなつたこと、原告福松、同トキは本件事故当時は亡孝之助らとは別居していたが今後の生活においては長男たる亡孝之助が経済的にも精神的にも最も頼りとなるべき存在であつたこと等諸般の事情を考慮すれば、不慮の事故によつて亡孝之助を失つた右原告らが蒙つた精神的損害は蓋し甚大なものというべく、これに対する慰謝料は、原告スマ子につき一五〇万円、原告和孝、同芳孝につき各一〇〇万円、原告福松、同トキにつき各五〇万円と認めるのが相当である。

第六  結 論

以上によれば原告会社は、前記第五の三の(二)の損害金一四〇万円およびこれに対する不法行為以後の日であり債務を負担した日以後の日である昭和三八年五月七日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告スマ子は前記第五の三の(一)(三)の損害金合計六〇〇万八三九九円、原告和孝、同芳孝は右(一)(三)の損害金合計五五〇万八三九九円宛、原告福松、同トキは右(三)の損害金五〇万円および右各金員に対する不法行為以後の日である昭和三八年五月二日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を被告に対し請求し得べきであるが、原告ら(原告会社を除く)のその余の請求はいずれも失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言および同免脱につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。(亀井左取上野茂 裁判官今枝盂は転任のため署名、捺印できない。)

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